Dandy Lionの歌詞を考える〜見えて来た光明、強くて弱い人間〜

2022年10月23日

自分の誕生日が近いこともあり、1年よく生き抜きましたというご褒美に大好きなG FREAK FACTORYというバンドの日比谷野音ワンマンまで足を運んできました。

自分自身、ライブには足繁く通う方で、大学時代には週5日くらいでライブハウスにいた記憶があり、社会人となった今でも月に1回くらいは誰かしらのライブに足を運んだりしています。

そんな謂わば、『ライブ通』の僕が知っているバンド・アイドル・ヒップホップアーティストの中でも、常に圧倒的なライブパフォーマスがG FREAK FACTORYであり、それこそが彼らを好きな理由でもあります。

当然、日比谷ワンマンも素晴らしいライブであったことは言うまでもないですが、色々と考えさせられることも多かったので記事にしてみることにしました。

歌詞が深い、好きな曲がたくさんあるのですが、9月14日にリリースした『Dandy Lion』という曲の歌詞を考察することで、世の中にG FREAK FACTORYの素晴らしさを知っていただきたいと思っています。

G FREAK FACTORYについて

まずは僕が大好きなG FREAK FACTORYについて簡単な紹介を。

彼らは1997年に群馬県で結成された「ダブ・レゲエ・ロック」のミクスチャーを発信している、群馬県出身の4ピースバンドです。

2022年で25周年、その節目に日比谷野音でワンマンをやったわけです。ただ、活休やら脱退やらで活動そのものが止まっている時期もあったので、実質活動歴は15年くらいの中堅バンドにあたります。

ミクスチャーというとかなり幅が広いのでわかりにくいですが、「チャンダン」の名称で親しまれているこの曲がG FREAK FACTORYの真骨頂だと個人的には感じています。

最近は、「ダーディ・ダーリン」みたいな3拍子の曲も多く、レベルミュージックほど思想的に傾倒していないが、それでも深い歌詞をしっとり聴くことができるので、ロック界隈に傾倒していない人でも割と聞きやすいと思います。

見えて来た光明〜過去への回帰〜

先日の日比谷ワンマンが素晴らしかったということは言わずもがなですが、では何がよかったのか。

それは時期的な事情もありました。ライブの約1週間前に、ライブガイドラインが更新され、ライブ中の声出しが一部解禁されたのです。

本来、特に僕が傾倒しているパンク界隈にルールらしいルールなど存在しませんでした。

他人を身体的に、あるいは精神的に傷付けなければ何をしてもいい、ダイブやモッシュを許容する社会。だからこそ社会不適合者の僕は、自分を表現できる場所に通っていたわけです。

社会の不満・日頃抱えるストレスを発散できる場所、それこそがライブハウスだった。

それがコロナによって突如として、声を出すことも感情を表現することも、何もかも否とされる社会になった訳です。

今回のライブでは声出しをすることを一部許されるようになり、徐々に徐々に昔のライブに戻ってきた。

そもそも日比谷野音だし、モッシュやダイブは許されていないですが、昔みたいにシンガロングして、みんなでライブを作るという空気感を感じることができた。

また気分がどうしようもなく高揚してしまった時にはモッシュやダイブができる景色に戻るかもしれない。

そんな期待を感じれたのが、何よりもよかったところでした。

前置きが長くなりましたが、本題のDandy Lionに移っていきます。

ボーカルの茂木さんはこの曲の前のMCでこんなことを言っていました。

「この場だけはリスペクトとリスペクトでいきたい。もし勢いあまって声を出してしまった奴がいたら、今日だけは許してやってほしい。静かに聴きたい奴がいたら、声を出してしまった奴はちょっといたわってほしい。そうやってリスペクトを作っていってほしい。」

Dandy Lionは強くて弱い人間の歌

著作権の関係上、歌詞を全文書くのは控えますが、この曲はタンポポの綿毛をモチーフに、強くて弱い人間を歌ったものです。

百獣の王「ライオン」という名を文字から如何にも強く逞しい姿が浮かぶDandy Lion(タンポポ)も、その綿毛は一本一本がいますぐ崩れそうなほど、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。

人間だって同じですよね。

強がっている我々も、心が崩れない本当にギリギリのところで踏ん張って生活している。僕自身がそうです。

色んな意味で、その弱さを顕在化させたのがコロナだと思います。

時はつれないままで 変わらないのはなぜ?皆ダンディーライオン。バラバラになるまで繰り返すのはなぜ?皆ダンディーライオン。
引用:歌ネット

タンポポの綿毛は一本一本が手を繋いで、お互いが飛ばされないように皆が協力して踏ん張ってる。

でも、仮に飛ばされたとしても、飛ばされた先で根を張って花を咲かせる、そんな存在です。

手を取り合って探し出して、やがていつかのあの日のように。向かい合って支え合ってきた、ダンディーライオン。汚れた空の中を、軽く大切を確かめながら、許しあって束になって今、ダンディーライオン。
引用:歌ネット

人間世界でもこのようなシーンは想像できると思います。

例えば家族というコミュニティから離れて一人暮らしを始めるタイミング。高校や大学を会社という組織に入るタイミング。

今まで互いに手を繋ぎあって、支え合ってきた場所から、見ず知らずの人・場所に移り、そこでなんとか芽を出そうとしている人を何度も目にしたことがあります。

最初は苦しいけど、でも月日が経てば冷たく感じた人や場所が、いつの間にか暖かく感じて手を取り合っている。

それが理想であり、本来「あるべき姿」だと思います。

ただ、様々な人の様々な事情に加え、社会の情勢も相まって、そもそも手を繋ぎあって助けうことが少なくなっていると思います。

困っている人がいても見ず知らず。自分とは違う人を卑下する世の中。自分に余裕がないのか、手を取り合うどころか手をはらってしまうことが多いな、と感じています。

だからこそ、上述したMCが心に響いた訳です。

弱いからこそ手を取り合えるのも、また人間

誰かを批判することも、怒ることも簡単。でも、そういう時に必要なのは相手の気持ちを理解しようとする心。

誰かの心なんてわからなくてもいいし、そもそも理解できるものではない。でも大切なのは理解しようとするその気持ち。

そんな風に言われた気がしました。

か弱さが残す優しさは、繋ぐ手を誰かが離せば、全て燃え上がる空にへと溶けるダンディーライオン。焼けた黄色い肌を、立髪が誇るたくましさを、燃え上がる空に溶ける日を今、ダンディーライオン。
引用:歌ネット

人間の心は本当に脆いものです。

ちょっと誰が言った言葉が、心に突き刺さっていつまでも居座り、どんどん体を蝕んでいく、それが人間だと思います。

でも、意識一つで優しくなれるのもまた人間です。

理解できなくてもいいから、理解しようとする。

それだけで昨日の自分よりも優しく、誰かと手を取り合えるような気がしたところで今回は終わりたいと思います。

ポッドキャスト【境界線上に生きる】のマネージャー。1994生まれ、ベトナム人顔の日本人。大学卒業前からベトナムに渡り、約4年間現地で働きながら一般的なベトナム人に触れ、生活に溶け込む。趣味はソロキャンプや読書、「墨子」が人生のバイブル。長年躁うつと共生しており、また重度なうつ病歴がある世界観で言葉を綴ります。

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