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美味しいものは美味しい理論|『これでいいのだ』の重要性 - ON A BORDER'

美味しいものは美味しい理論|『これでいいのだ』の重要性

ポッドキャスト「境界線上に生きる」のマネージャーである私が密かに唱えている、「美味しいものは美味しい理論」

美味しいものは美味しい理論を簡単に述べると、美味しいものって美味しいよね、という意味です。

なんの説明にもなっていないじゃないか、ふざけるな、と憤慨しているそこのあなた。

実はこの理論にはとある深い意味が含まれているとか、含まれていないとか…

ただのイチ人間の超自己満イカれ理論なので固くならずにお読みください。

「美味しいものは美味しい理論」の本当の意味とは

結論から言うと「美味しいものは美味しい理論」とは、美味しいものの中には階級など存在せず、美味しいものは美味しいものでしかない、という理論です。

これだけではわかりにくいので補足すると、美味しいものの中に「超美味しい」や「普通に美味しい」、「まあまあ美味しい」などのレベルは存在しない、ということです。

いやでも実際、あの店よりこの店の方が美味しいとか、嫁が作る味噌汁より母が作る味噌汁の方が美味いとかあるでしょ、と反論したそこのあなた。

とても鋭いです。キラン★

この反論はまさにその通りで、なんらかの科学的な実験をしても同じような結果になると思います。

ただ、僕がここで言いたいのは、超美味しい・普通に美味しい・まあまま美味しい、みたいに何かと比較して、こっちよりこっちの方が優れてる、優れてない、と決めるのは良くない、ということです。

美味しいものは美味しいんだから、美味しいでいいじゃないか。そう僕は言いたいのです。

感性を比較する必要はない

これは「美味しい」に限ったことではなく、不味い・好き・嫌い・楽しい・辛いとか、人間の感情の全てに当てはまるものだと思ってます。

好きなものは好きでいいし、楽しいものは楽しいでいい、嫌いだって辛いだって何かや誰かと比較する必要はないじゃないか、と思ってます。

比較せず、自分の感性を大事にした方がいい、僕はこの理論でこう述べたいのです。

もちろん、資本主義社会で生きる私たちは、比較という行動から逃れない定であることはいうまでもありません。

特にビジネスシーンになればそれは顕著で、経営理論なり、マーケティング理論なり、その全ては比較の上に成り立っています。

ただ、それをよりパーソナルなシーンに当てはまめて優劣を決めることは、ある種の危険性を孕んでいると感じます。

その危険性とは、比較することで果てしのない欲が渦巻いてくる、ということです。

感性を比較することの危険性

人間は果てしのない欲を求め続ける生き物だと思っています。それはマズローの欲求5段階説から明らかでしょう。

①「生理的欲求」が満たされれば②「安全の欲求」、これが満たされれば③「所属と愛の欲求」、これが満たされれば④「承認欲求」・・・⑤「自己実現の欲求」のように欲求は段階的に上昇していく理論のことです。

①〜④は欠乏欲求である一方、⑤は成長欲求と論じているわけですが、まさに⑤が飽くなき欲求の正体と考えます。(個人的には④と⑤は相関関係にあると考えていますが…)

資本主義社会の現在では、購買欲求というものは飽きることなく、軽自動車を買えばより速く走るセダンが欲しくなり、セダンを買えばスポーツカーが欲しくなり、より高級な車が欲しくなり・・・いくらお金を稼いでも、いつまで経っても欲は歯止めが効くことを知りません。

ダニエル・カーネマン教授が幸福度と収入の関係について、「年収7万5000ドルまでは、 収入が増えれば増えるほど幸福度は比例して大きくなる」と述べました。

僕はその理由について、7万5000ドルという年収レンジが一般的なサラリーマンにとって頭打ちの金額だから、と考えています。

逆に年収7万5000ドル以上ある人は、次は年収10万ドル、その次は20万ドル、100万ドルと欲を抱くことができ、またその可能性がある人であり、まさに飽くなき欲求を抱く人物だから、と言えるでしょう。

幸福度と年収の関係は人間の感情と密接な関係にあるため、「美味しい」や「好き」という感情においても同じことが言えると思います。

今の美味しいが満たされればもっと美味しいものへの欲求が生まれ、更なる美味しいを求める。好きだって同じです。

年収7万5000ドルのマインド:「これでいいのだ」の精神

ここで僕は何が言いたいのかというと、大事なのは「年収7万5000ドル」の人間になることです。

決して文字通りに受け取って欲しくないのですが、彼らは「年収が頭打ちになったことにより次なる欲求へ移行することを諦めた」マインドを持っている、というのが僕の考えです。

大事なのはこの「諦め」であり、次の欲求へ移行しないことが「最大の満足度」の正体なのです。

日本語にはこれを端的に表す言葉があります。

それこそが「これでいいのだ」です。

美味しいなら美味しいでいい、好きなら好きでいい、今の現状に「これでいいのだ」と一定の満足をする。

「これでいいのだ」という精神こそが果てのない欲求に歯止めを効かせ、一度立ち止まって「あっ、今の自分は幸福なんだ」と気づかせることができる。

この精神さえあれば、すき家の牛丼でも3つ星レストランの高級フレンチでも、「美味しいものは美味しいな」と言えるはずです。

決して高いものが悪いと言いたい訳ではなく、自分に合ったもので一定の満足をして、「これでいいのだ」と立ち止まることが重要なのです。

それこそが幸せの正体であると述べ、「美味しいものは美味しい理論」を終えたいと思います。

ご清読ありがとうございました。

ポッドキャスト【境界線上に生きる】のマネージャー。1994生まれ、ベトナム人顔の日本人。大学卒業前からベトナムに渡り、約4年間現地で働きながら一般的なベトナム人に触れ、生活に溶け込む。趣味はソロキャンプや読書、「墨子」が人生のバイブル。長年躁うつと共生しており、また重度なうつ病歴がある世界観で言葉を綴ります。

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